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伊能忠敬日本地図を作ったきっかけと何年かかったの?今の地図と比較した時の誤差

本日4月19日は、伊能忠敬が蝦夷地を測量しに江戸を出発した日です。

そのため、「地図の日」「最初の一歩の日」と言われています。

伊能忠敬が日本地図を作ろうとしたのが55歳のとき。

自分の足を使い、長い年月をかけて日本地図を作成しました。

 

55歳で、こんなにも壮大なことをやろう!という心意気がすごいですよね。

本当に尊敬です。

 

そんな伊能忠敬が日本地図を作ろうとしたきっかけは何だったのでしょうか

また、55歳から何年かけて作ったのでしょうか

 

自分の足で作った日本地図が、今の精巧な日本地図と比較した時の誤差がどれだけなのかも調べてみました!

 

伊能忠敬が日本地図を作ったきっかけは?

伊能忠敬が日本地図を作ったきっかけは、「いったい地球の直径はどれくらいなのか」という自分の中の疑問を解決するため、だったそうです。
で、地球の直径を知るためには、「北極星の高さを2つの地点で観測し、見上げる角度を比較する」ということが必要で、しかもその2つの地点の距離が長ければ長いほど良い。
そのため、江戸から蝦夷地(北海道)の距離を知りたかったのです。
しかし当時、蝦夷地に行くには政府の許可が必要でした。
そのため、蝦夷地に行く口実として”地図作成”を提案しました。

伊能忠敬が測量を学んだきっかけは?

地図を作る!といっても、測量を知らなければいけませんよね。

伊能忠敬は、その測量技術を持っていたのです。

 

伊能忠敬が測量の重要性を認識したきっかけは、利根川の氾濫だったと言われています。
何度も氾濫する利根川。
堤防の修復によって村の被害を防ごうと努めましたが、堤防の工事には測量の知識が必要だと痛感したそうです。
そこで忠敬は独学で測量の知識を身につけていきました。

 

伊能忠敬が日本地図を何年かけて作ったのか?

伊能忠敬は日本地図を17年かけて作りました

作り始めたのが55歳。

そのため、作成が終わったのが、72歳ということになります。

その17年の間、10回に分けて測量を行いました。

 

年代 場所 期間
第1次測量 1800年 蝦夷地 117日間
第2次測量 1801年 伊豆~東日本太平洋側 230日間
第3次測量 1802年 東北日本海側 132日間
第4次測量 1803年 東海・北陸地方 219日間
第5次測量 1805年 近畿・中国地方 1年9ヶ月間
第6次測量 1808年 四国 約1年間
第7次測量 1809年 九州前半 1年9ヶ月間
第8次測量 1811年 九州後半 913日間
第9次測量 1815年 伊豆諸島 約1年間
第10次測量 1815年 江戸 半年間

 

改めて年表を見ても、かなりの期間を費やしましたよね。

このバイタリティは素晴らしいです。

 

今の地図と比較したときの誤差はどれぐらい?

そんな、自分の足で作った日本地図。

それがこちら。

 

 

今の地図とほとんど変わらないぐらいの精密さですよね!!!!

もう、驚きです。

今の地図と比較してみましょう。

(黄色が伊能忠敬が作った地図で、緑が今の地図です)

 

 

多少の誤差があれど、やっぱりほぼぴったりです。

かなりの精度で作成されたことがわかりますね。

 

まとめ

55歳で地図を作成し始めた伊能忠敬。

そのきっかけは「地球の直径を知りたい」という個人的な興味で、日本地図作成は口実だったようです。

ですがそれでも、17年もの歳月をかけて今の日本地図のきっかけを作ったことは、尊敬に値します。

あなたも、最初の一歩の日に、なにか一歩踏み出してみませんか?

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よしだ
映画・漫画・音楽・スポーツ観戦が好き。 日常の気になることをお伝えしています。 女の子二人のパパで、脱サラ目指して爆進中!